あけぼの保育園への感謝状と後継者
2002年に設置したあけぼの保育園のおひさま発電所は、設置後10年が過ぎ、その間のグリーンファンドへのご支援に対して、感謝のしるしとして、感謝状をお持ちしました。
2001年夏、小さな新聞記事を見てご連絡をいただいたことを昨日のように思い出します。すぐに伺って説明、すぐに決断して下さいました。
先代の理事長(矢島園長のお父上)の後押しが決断を促した、とあとからお聞きしました。
きょうとグリーンファンドとしても保育園のプロジェクトは、初めて。今から考えると、いろいろバタバタして、さぞ至らない事ばかりだったことと思います。
しかし、園長先生のアイデアから生まれた「オリジナルデザイン」の子どもたちによくわかる発電表示盤は、今でもきょうとグリーンファンドの「売り」のひとつですし、熱心な職員研修で生まれたプログラムはいくつもあります。
どんどん自立して、進化するあけぼの保育園に、お手伝いしたきょうとグリーンファンドは、保育園という場での可能性をいつも教えていただきました。
そして今、しっかりとした後継者の出現に、矢島園長先生と私は、10年余り積み上げてきたことの手ごたえを、ある満足感を持って共有できたように感じました。
園長補佐の敬子先生は、希望のある未来のようにまぶしいです。
ぐりふぁん 大西
2001年夏、小さな新聞記事を見てご連絡をいただいたことを昨日のように思い出します。すぐに伺って説明、すぐに決断して下さいました。
先代の理事長(矢島園長のお父上)の後押しが決断を促した、とあとからお聞きしました。
きょうとグリーンファンドとしても保育園のプロジェクトは、初めて。今から考えると、いろいろバタバタして、さぞ至らない事ばかりだったことと思います。
しかし、園長先生のアイデアから生まれた「オリジナルデザイン」の子どもたちによくわかる発電表示盤は、今でもきょうとグリーンファンドの「売り」のひとつですし、熱心な職員研修で生まれたプログラムはいくつもあります。
どんどん自立して、進化するあけぼの保育園に、お手伝いしたきょうとグリーンファンドは、保育園という場での可能性をいつも教えていただきました。
そして今、しっかりとした後継者の出現に、矢島園長先生と私は、10年余り積み上げてきたことの手ごたえを、ある満足感を持って共有できたように感じました。
園長補佐の敬子先生は、希望のある未来のようにまぶしいです。
ぐりふぁん 大西
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